トップフィギュアスケーター羽生結弦選手にみる「矢沢み」について
こんにちは、ゆとり( @yutori_life )です。
みなさん、フィギュアスケーターの羽生結弦選手はもちろんご存じですね。
いまや彼は日本を代表するフィギュアスケーターとなったわけですが、わたしがとりわけフィギュアスケートのファンというわけでもなく、情報量としては一般人がニュースなどで耳にする量と変わりないくらいだと思います。
以下の文章は100%わたし個人の見解であり、わたしも羽生選手を応援する日本人のひとりにすぎない、ということだけでもご理解いただければ幸いです。
さらに、矢沢永吉さんについてもすごくファンというわけではなく、ただちょっと人より音楽が好きな者として常識的な知識として知っているくらいですので、ご理解いただける方のみこのまま読み進めていただきたいと思います。
- 矢沢永吉とは?
みなさんの、矢沢についての知識ってどれほどのものでしょうか?
というか、そもそも矢沢永吉って誰か知っていますか?
広島県広島市出身のロックミュージシャン。愛称は「永ちゃん」。ファンが熱狂的なことでも有名。
矢沢には数々の伝説があるのですが、今回注目するのは
「俺はいいけど、矢沢はどうかな」
この発言です。
これはわたしが感じ取った印象なのですが、「矢沢永吉」として生きる、という姿勢がみえてとてもかっこいいなと思ったわけです。
彼はなによりも「イメージ」が重要視される有名人のひとりだと思うのですが、その「イメージ」を裏切らないプロですよね。すべての行動の根幹に「矢沢として」どうなのかが考えられているような気がします。わたしはそれこそが彼の最大の魅力だと感じています。
そしてこれこそが、今回の議題、羽生選手に感じる「矢沢み」の正体です。
- 羽生選手のイメージ
現在、最も注目を浴びている日本人フィギュアスケーターといっても過言ではない選手ですね。
その圧倒的技術とセンス、精神力で世界中の人々を魅了してきた羽生選手はこれまでわたしが目にしてきたフィギュアスケーターとどこか印象が違うな?と思っていたのですが、それが一体なんなのかわからずにいたのです。
そして現にいま、一体なんなのかわからずにいるそこのあなた!
今からわたしが解説いたします。
羽生選手はこれまで、怪我を押してまで大会に出場したり(リング場での流血事件はSNS上でも大変話題になりました)、現状に決して満足しない姿勢を貫き通しています。
それこそが彼の魅力でもあります。
試合中にみせる他を寄せ付けない圧倒的なオーラ。
もちろん、試合以外の場面ではまた違った一面を持っているのでしょうが、試合中の彼にはある種異常ともみえる恐るべき集中力と覇気を感じるのです。
その独特の空気感をここでは「羽生結弦感」と呼ぶことにします。
ではどうして彼はここまで絶対的な「羽生結弦感」を維持できるのでしょうか。まるで試合外と試合中で二人の羽生結弦という人物がいるように感じます。
…お分かりいただけたでしょうか?
この「羽生結弦感」の正体。
これこそが、わたしが感じる「矢沢み」なのです。
彼は試合中、羽生結弦というトップフィギュアスケーターを完璧なまでに演じ切っているというわけです。
『この場面、自分がどうするかではなく、「羽生結弦ならどうするか」ということ』を考えて行動しているように見えるのです。
ファンの中にある「羽生結弦」というイメージ、そしてなにより本人の中にある「羽生結弦」というイメージを損なうことがないような行動・判断をとる。
それこそが彼が羽生結弦をトップフィギュアスケーターたらしめている、そしてわたしが彼に感じる「羽生結弦感」ひいては「矢沢み」の正体です。
3.まとめ
いかがだったでしょうか?
この「矢沢み」実は多くのプロと呼ばれる方々には共通しているものなのかもしれません。
今回はそれがより強く感じられた羽生結弦選手を例にとり検証してみました。
もしかしたら意外と身近なところにも「矢沢み」を持った人物がいるかもしれませんよ?
なお、わたしは「矢沢み」という言葉を流行語にするべく多用していこうと今、思ったのでみなさんも無駄に使いましょう。よろしくお願いいたします。