ツイッターのプロフィールを凄そうに書き、インフルエンサーになる方法
こんちには、ササキです。
突然ですが、みなさんはツイッターのプロフィール、どんな風に書いていますか?
在籍していた高校・大学・部活・サークル、
お気に入りの座右の銘、
他の追随を許さない謎の一言など・・・
ぶっちゃけ普通すぎません?
普通すぎて口から酸素と二酸化炭素でそう〜〜〜!!!
ということで、今回は「ツイッターのプロフィールをいかにも凄そうに書き、インフルエンサーになる方法」を検証してみました!
ちなみに私のツイッターのプロフィールはこちら。
シャブって自己啓発セミナーに通い詰めた自己肯定感の低い女を意識してみました。
1: 暴露話
「実は、〇〇です。」
人間は常に重箱の隅をつつきたい生き物です。
ツイッターという表面上だけのコミュニケーションに、さらなる奥行きを持たせるため、日頃秘めているものをさらけ出してみることにしました。
どうしても手の届かない憧れの人が「実は、ペドフィリアです」と書いていたら、急激に人間らしさを持つようになるでしょうし、嫌いなアイツが「実は、星野源が好きです」と書いていたら「ミーハーすぎてさらに嫌いになった」と思うかもしれません。
暴露することで、早急に人の感情を左右することができます。
これこそインフルエンサーへの近道。
ちなみに私の暴露はこちら。
「実は、処女です。」
処女厨からDMが来るかもしれません。
2: 不幸話
人間は常に「他人の不幸は蜜の味」。
自分より不幸な境遇にある人間を笑いたいという根源的な欲求を持っています。
その欲求を逆手にとり、閲覧者にさらに重箱の隅をつつかせましょう。
重すぎる不幸話は、相手を引かせてしまう可能性があるため、軽めのジャブとしての不幸話をいれてみることにしました。
煌びやかな生活を送ってそうな女子大生が「最近、事故物件に住んでいることに気付きました。」と書いていたら、今までアップしていた自室での自撮りが一気に滑稽に見えてくるでしょうし、オタサーの姫が「就活で自分の社会的地位に気付いた」と書いていたら、「おめでとう!!」とDMを送りたくなるに違いありません。
ちなみに私の不幸話はこちら。
「最近、道端で「ブス」「死〜ね〜よ〜」といった暴言を受けます。」
詳しくはこちらの記事で。
3: URLをつける
重箱の隅を散々つつかせた後は、クリックさせることにしました。
暴露話と不幸話を見た閲覧者は、「私」に対する興味関心が最高潮に達した状態に違いありません。そんな「私」という「謎物体」のことをさらに知ることができるようなソーシャルメディアのURLを貼り付けることで、閲覧者の知的欲求を満たすことを考えたのです。
しかし、ここで注意しておきたいのが貼り付けたURLの内容と「暴露話」「不幸話」との乖離がないようにしておくことです。なぜなら「ブスって言われます」と書いている人間が、インスタグラムで「今日行ったBlue Bottle Coffee◎」と投稿していたら、アカウントを凍結させてやりたくなるからです。
ちなみに私のURLはこちら。
「女子大生の非就職活動ブログ」(http://www.sasaki-chi.com)という意識が極めて低いメディアです。
4:結びの一言
最後に閲覧者に感謝の意を込めて、結びの一言を盛り込みましょう。
ただし結びの一言といっても、ツイッターで生を受けた私たちは、いつでも他者を楽しませることのできるエンターテイナーでなければなりません。
重箱の隅をつつかせるどころか、閲覧者を闇に引きずりこませ、精神状態を壊滅させようとする躁鬱アカウントは凍結です。
その一言を何に設定するかで、この一連の流れの結果、つまりインフルエンサーに重要な「フォロワー数」が決まるといっても過言ではありません。最後の一手、慎重に決めていきましょう。
※「面白きこともなき世を面白く」と書く人間ほど面白くないことが自明の理とされているため、その文言を使用することはお勧めしません。
ちなみに私の結びの一言はこちら。
「ディスりディスられ満身創痍」
傷だらけでも生きていく覚悟を決めたデブという意訳です。
終わり
皆さんもツイッターのプロフィール、変えて見てはいかがでしょうか。
それでは、さようなら。
ブリーフ&トランクスの名曲『ゴールデンボール』がレコード大賞を逃した理由。
こんにちは、ゆとり( @yutori_life )です。
みなさんは「輝く!日本レコード大賞」や「ブリーフ&トランクス」はご存知でしょうか。
ブリーフ&トランクス、通称ブリトラの『ゴールデンボール』という曲は彼らの数ある楽曲のなかでもかなりの名曲で、そのキャッチーなメロディと神秘的な歌詞は日本の音楽史上に名を残すほどの価値があるとわたしには思えてなりません。
今回は改めてレコード大賞とはなんなのかを考えたのち、この名曲の魅力と受賞を逃した理由について検証してみたいと思います。
・「輝く!日本レコード大賞」とは?
スポーツ紙を含む各新聞社の記者が中心となって決定する、音楽に関する賞である。略称は「レコ大」(レコたい)。第一回放送は1959年。
なんとなくずっとある番組だな~という印象はあったもののここまで長い歴史があるとは知りませんでした。
現在は全14種類の賞があるらしく、概要は
・最優秀歌唱賞
・優秀作品賞
・最優秀新人賞
・新人賞
・「作詩賞」「作曲賞」「編曲賞」:特に作詩・作曲・編曲の分野で独創的であると認められた『作品・作者』に贈る。
・企画賞
・功労賞
・特別功労賞
・日本作曲家協会選奨
・優秀アルバム賞
・アルバム賞
・特別映画音楽賞・特別歌謡音楽賞
今回着目するのは作詩賞です。ウィキペディアによると「独創性」がポイントとなるようです。
独創性とは、『独自の考えで物事をつくり出す能力。また、新しい物事がもつそのような性質』とあります。…すみません、よくわかりません。(バカ)
とにかく、独自の目線でなにかしら考えられていることが大事なのでしょう。(たぶん)
・『ゴールデンボール』という名曲
わたしがこの曲に出会ったのは高校生の頃で、この曲は2012年ブリトラが再結成した際にリリースされた伊藤多賀之さんソロ時代の楽曲です。作詞作曲は伊藤多賀之さんです。
タイトル通り、ゴールデンボールを通して人類の生命の誕生の神秘について歌った楽曲です。注目してほしいのは特にそのサビ部分です。
生き残れ 僕らの ゴールデンボールよ
人類滅亡のシナリオ ぶち壊してよ
下から蹴らないで ゴールデンボールを
何億個もの命がそこで 時を待ってる
僕らの未来の空が 灰色でも輝き続けよ
この世に存在するすべての人類の始まりはゴールデンボール。たとえ未来が灰色でも、その時を待つ何億個もの命の種を持つボールは金色に輝き続けているのです。
そしてラストサビでは
生き残れ 僕らのゴールデンボールよ
お風呂入ると伸びるよ ゴールデンバッグが
不思議そうに子供が見てるよ ゴールデンボールを
何億個ものライバル抜いて 勝ち残った後
僕らが生まれたのなら このシラけた時代に負けはしない
と続き曲が終わります。
この大サビが一番好きなのですが、たしかに、我々が生を受けてこの世に誕生したこと自体がまぎれもなく奇跡で、もしもあの時あの戦いで違う奴が勝っていたら今の自分ではない人がこの世に生まれていたのかもしれないのです。そんな熾烈な戦いを勝ち抜いて自分は生まれたのだということを考えるとまさに、「こんなシラけた時代になんか負けてたまるか」というような生きる気力が沸いてきませんか?
普段生きていると忘れてしまうようなことを、この曲は改めて我々に提示し、自分という存在を見つめなおさせてくれる素晴らしい楽曲なのです。
わたしが名曲と呼ぶ理由を少しは分かっていただけたでしょうか?
それではまだこの曲を聴いたことがない人のためにリンクを添付しますので、そのキャッチーなメロディにも注目してぜひ一度聴いてみてください。
・理由とまとめ
さて、では本題の「なぜレコード大賞を獲れなかったのか」ということなのですが、ここまで私の話を聴いていただき実際の楽曲を聴いていただいた方はおわかりかと思います。
そうですね、この曲がまぎれもない下ネタソングだからですね。
むしろこれ以外の理由があると思った方はぜひ教えてください。
この曲は簡単に言うと、金○で製造された精子がセッ○スをして射精され卵と結びつくという一連の生命誕生までのプロセスを歌った曲です。だからです。そんな曲がレコード大賞を獲るわけありませんよね。
ただひとつだけ、誤解していただきたくないのは、だとしてもこの曲に関していままでわたしが述べてきた意見は変わりませんし、名曲であることには変わりないということです。
ブリトラにはこのほかにもたくさんの素晴らしい楽曲があります。この記事をきっかけにぜひ聴いてみてくださいね。
トップフィギュアスケーター羽生結弦選手にみる「矢沢み」について
こんにちは、ゆとり( @yutori_life )です。
みなさん、フィギュアスケーターの羽生結弦選手はもちろんご存じですね。
いまや彼は日本を代表するフィギュアスケーターとなったわけですが、わたしがとりわけフィギュアスケートのファンというわけでもなく、情報量としては一般人がニュースなどで耳にする量と変わりないくらいだと思います。
以下の文章は100%わたし個人の見解であり、わたしも羽生選手を応援する日本人のひとりにすぎない、ということだけでもご理解いただければ幸いです。
さらに、矢沢永吉さんについてもすごくファンというわけではなく、ただちょっと人より音楽が好きな者として常識的な知識として知っているくらいですので、ご理解いただける方のみこのまま読み進めていただきたいと思います。
- 矢沢永吉とは?
みなさんの、矢沢についての知識ってどれほどのものでしょうか?
というか、そもそも矢沢永吉って誰か知っていますか?
広島県広島市出身のロックミュージシャン。愛称は「永ちゃん」。ファンが熱狂的なことでも有名。
矢沢には数々の伝説があるのですが、今回注目するのは
「俺はいいけど、矢沢はどうかな」
この発言です。
これはわたしが感じ取った印象なのですが、「矢沢永吉」として生きる、という姿勢がみえてとてもかっこいいなと思ったわけです。
彼はなによりも「イメージ」が重要視される有名人のひとりだと思うのですが、その「イメージ」を裏切らないプロですよね。すべての行動の根幹に「矢沢として」どうなのかが考えられているような気がします。わたしはそれこそが彼の最大の魅力だと感じています。
そしてこれこそが、今回の議題、羽生選手に感じる「矢沢み」の正体です。
- 羽生選手のイメージ
現在、最も注目を浴びている日本人フィギュアスケーターといっても過言ではない選手ですね。
その圧倒的技術とセンス、精神力で世界中の人々を魅了してきた羽生選手はこれまでわたしが目にしてきたフィギュアスケーターとどこか印象が違うな?と思っていたのですが、それが一体なんなのかわからずにいたのです。
そして現にいま、一体なんなのかわからずにいるそこのあなた!
今からわたしが解説いたします。
羽生選手はこれまで、怪我を押してまで大会に出場したり(リング場での流血事件はSNS上でも大変話題になりました)、現状に決して満足しない姿勢を貫き通しています。
それこそが彼の魅力でもあります。
試合中にみせる他を寄せ付けない圧倒的なオーラ。
もちろん、試合以外の場面ではまた違った一面を持っているのでしょうが、試合中の彼にはある種異常ともみえる恐るべき集中力と覇気を感じるのです。
その独特の空気感をここでは「羽生結弦感」と呼ぶことにします。
ではどうして彼はここまで絶対的な「羽生結弦感」を維持できるのでしょうか。まるで試合外と試合中で二人の羽生結弦という人物がいるように感じます。
…お分かりいただけたでしょうか?
この「羽生結弦感」の正体。
これこそが、わたしが感じる「矢沢み」なのです。
彼は試合中、羽生結弦というトップフィギュアスケーターを完璧なまでに演じ切っているというわけです。
『この場面、自分がどうするかではなく、「羽生結弦ならどうするか」ということ』を考えて行動しているように見えるのです。
ファンの中にある「羽生結弦」というイメージ、そしてなにより本人の中にある「羽生結弦」というイメージを損なうことがないような行動・判断をとる。
それこそが彼が羽生結弦をトップフィギュアスケーターたらしめている、そしてわたしが彼に感じる「羽生結弦感」ひいては「矢沢み」の正体です。
3.まとめ
いかがだったでしょうか?
この「矢沢み」実は多くのプロと呼ばれる方々には共通しているものなのかもしれません。
今回はそれがより強く感じられた羽生結弦選手を例にとり検証してみました。
もしかしたら意外と身近なところにも「矢沢み」を持った人物がいるかもしれませんよ?
なお、わたしは「矢沢み」という言葉を流行語にするべく多用していこうと今、思ったのでみなさんも無駄に使いましょう。よろしくお願いいたします。
「エロい顔」と「えっちな顔」のニュアンスの違いを解説してみた。
こんにちは、ゆとり( @yutori_life )です。
以前、会話の中で三次元俳優や二次元キャラクターに対して、「なにこれ?めっちゃエロい顔してるやん!!」「もー○○のこの表情!えっちな顔してる!!」と言ったときに「なんでわざわざ言い換えるの?」と言われたことがあるんですが、それはずばり
「エロい顔」と「えっちな顔」では伝えたいニュアンスが異なる
ということです。
今回はその細かいニュアンスの違いを解説いたします。
1.「エロい顔」とは
一般的に直接的に性的な描写がある際によくみられる表情。キスシーンをはじめとした濡れ場で男性俳優がよくこの表情をする。
こちら映画『溺れるナイフ』の有名な一場面です。この菅田将暉氏の表情は「エロい顔」ですね。
こちらも某映画の綾野剛氏です。「エロい顔」してますねぇ。いいっすねぇ。
直接的な性的な描写のなかで発生することが多いので、わりかしどんなタイプの俳優さんもしやすい表情です。
そのため普段はクリーンでさわやかな印象のある人がするとより効果的な顔です。
これは比較的わかりやすいと思います。
2.「えっちな顔」とは
日常のなかの性的な表情。直接的な性の存在は皆無。色気と危うさの共生。
こちら全くなんでもないただの長谷川博己氏です。さすが!完璧な「えっちな顔」です。
あふれかえっていますね。顔面からありとあらゆる性的なものがもうダダ漏れです。
こちらもただの眞島秀和氏です。なんともいえない絶妙な「えっちな顔」ですね。
薄々分かってきた方も多いのではないでしょうか。
そう、「えっちな顔」はただの色気ではないのです。
色気と哀愁、それから「危うさ」。これが大事なのです。
「危うさ」とは何を考えているか分からない、危険臭といった感じのものです。
色気と哀愁は歳を重ねることでそこそこ醸し出すことが可能なのです。
たとえば、上記のお二人と同じくらいの年代のこちら、
竹野内豊氏です。
どうですか。かっこいいですね。
色気と哀愁と、彼にあるのは「貫禄」に似たものだと思います。
故に「えっちな顔」とはかけ離れているんです。
3.まとめ
おわかりいただけたでしょうか。
我々(?)はこのような細かいニュアンスを伝えるために言葉を使い分けているわけです。
「一緒じゃん!」なんて言わないでください。違うんです。
ちなみに今のところのベストオブ「えっちな顔」はこちらの眞島秀和氏です。
すばらしいですね。
キスシーンでも濡れ場でもないのにこの表情。さすがとしか言いようがないですね
長谷川博己氏と眞島秀和氏は23時以降しかTVに出てはいけないのではないかというくらいの「えっちな顔」持ち主です。
好きです。(迫真)
みなさんも自分なりの「えっちな顔」を探してみてください。
次は「えっちな顔」の女性版についても考察してみたいと思います。
どうして男は脱げばウケるのに、女は脱いでもウケないのか
どうも、ササキ(@simpson_sasaki)です。
私には今、最大の疑問があります。
それはタイトルでも記したように、
「どうして男は脱げばウケるのに、女は脱いでもウケないのか」
ということです。
これはジェンダー論に片足どころか双方の足を突っ込み、そのままコンクリートでガッチガチに埋められ、もはや身動きすら取れないほどの論題。
学術的に取り上げられるべきトピックでしょう。
私が所属する大学のゼミは国際教育学を取り扱うものですが、卒業論文のテーマで扱いたいと思うほど、私の関心は専らそちらに寄せられています。
どうせ締め切り間際に適当に論文を書くぐらいなら、初老の男女の愚痴を肴に上島珈琲でまとめてみるのもいいのでは、と思いパソコンをカタカタいわせてきました。
まず、「男が脱げばウケる」事実及び「女が脱いでもウケない」事実を証明した後、「性差によるウケの差」を考察していきたいと思います。
それでは、どうぞ〜。
1:「男が脱げばウケる」
まず「男が脱げばウケる」という事実を証明させてください。
(しかし、私は頭が良くないので計算は2桁の割り算までしか出来ないことを理解していただきたいし、就活でよく出るであろう「フェミル推定」も勿論出来ません。そんなことは別にどうだってよいのです。適当なので。)
アキラ100%だって、とにかく明るい安村だって、小島よしおだって、男性裸芸人の命は短いものの、爆発的にウケたのは揺るぎない事実です。
局部を隠したオッさんが画面上に存在するだけですが、それはいつの間にかお茶の間に浸透し、小学生が真似をするまでに至ります。
先日、小学生がアキラ100%の真似をして周囲の笑いを掻っ攫っていったのは記憶に新しいですね。やはり学内での芸人パロディはウケます。
人気者になりたい承認欲求の塊の小学生のみんな〜!!今すぐ芸人パロディに走れ〜〜〜!!!
(サンプラザ中野くんのモノマネ)
もちろん、これは何も芸人に限った話ではありません。
昨今のSNSにおいては「脱いだが勝ち」のような風潮すら見受けられます。
事実、私が好きでよく読んでいるオモコロ(https://omocoro.jp)でも、たくさんのライターさん(男性)が脱いでいます。みんなが就活するから就活する、みんなが脱ぐから脱ぐ。これは日本独自の同調圧力から起こるものなのかもしれません。
闇は深いです。
容量が少ない脳みそで、「男が脱げばウケる」という事例をひねりもなく頑張って紹介しましたが、いかがでしたか。
飲み会で脱げばウケると考えているそこの男性諸君、そもそも「脱ぐ=ウケる」という概念がない女性諸君、「男が脱げばウケる」は男女双方異議なしの事実であります。
2:「女が脱いでもウケない」
では、次に「女が脱いでもウケない」事例について触れていきたいと思ったのですが、そもそも脱いでウケを取っている女性が浮かんできません。
強いて言えば明日花キララぐらいしか思いつかないのですが、キララのラップは結構好きですし、ツイッターも頻繁にチェックしています。
「女が脱いでもウケない」という事実を証明するに足る証拠はこの度提示できませんでした。というのも、昨今のお笑い業界において、脱いで世間を圧倒した女性がいないからです。
しかし、私は思うのです。
その証拠の欠如こそ、ある一種の証明であるかもしれないと。
聡明な女はすでに「脱いでもウケない」ことを瞬時に理解し、その「男女格差 in 裸芸」への鬱憤を蒸発させようと東奔西走しているのでしょう。
そう、その女こそ、私であるのです。
3:「どうして男は脱げばウケるのに、女は脱いでもウケないのか。」
以上、「男が脱げばウケる」事例と「女が脱いでもウケない」事例を適当に提示しました。ここからは、なぜ性差によってウケに齟齬が生まれるのか、考察していきたいと思います。
女が裸芸でウケにくい1番の理由、それは
隠さなければならない箇所が多いから
ではないでしょうか。
女は胸と局部、最低2箇所は隠さなければなりません。
それに対し、男は隠すべき箇所が局部の1箇所のみに限定されているのです。
つまり、モザイクが多ければ多いほど、身体的に不確かな要素が増し、どことなく落ち着かないファジーな雰囲気を醸し出してしまいます。
男の場合、胸は男の「性」としてそれほど強調されないにも関わらず、女の胸は「性」として強調されてしまうという矛盾を孕んでいます。ただ膨らんでいるだけなのに、です。
女の胸、それはすなわち風船。
萎んでいる風船、小さい風船、膨らまない風船が見向きもされないように、大きく弾力がある風船ほど、注目されます。
パフォーマーとして風船を2個所持していると、一見人気を掻っ攫うことができるように思われるかもしれません。
しかし実態としては、それらの風船は子ども、または低俗な大人をあやす道具に過ぎず、悲しきかな、ウケとは密接に結びつくことはないのです。
4:まとめ
結論から述べると、「男は脱いだらウケるが、女は脱いでもウケない」ということです。またその理由として、女は隠すべき箇所が男性より多いからだということが指摘できるでしょう。
そういった観点から、私は全力で乳首解放運動を応援します。
さようなら。